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最高裁判所第一小法廷 平成6年(オ)799号 判決 1998年4月30日

上告人

株式会社スズキ宝飾

右代表者代表取締役

鈴木武士

右訴訟代理人弁護士

東谷隆夫

額田洋一

額田みさ子

被上告人

日本通運株式会社

右代表者代表取締役

濱中昭一郎

右訴訟代理人弁護士

原田昇

浜口臣邦

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人東谷隆夫、同額田洋一、同額田みさ子の上告理由第一点及び第三点について

一  原審が適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  上告人は、貴金属の販売、加工等を目的とする株式会社であるが、平成元年七月六日、顧客らから請け負ったダイヤモンド一個及び赤色石一個の枠加工を鈴木工芸こと鈴木利明に下請させ、右ダイヤモンド等を鈴木に対して送付した。

2  鈴木は、加工を終えた右ダイヤモンド等(以下「本件宝石」という。)を被上告人がペリカン便の名称で取り扱っている宅配便を利用して東京都台東区所在の上告人のもとに送付するため、平成元年七月二三日、本件宝石を入れて荷造りした箱(以下「本件荷物」という。)を被上告人の代理店である千葉県館山市所在の房州通運株式会社に引き渡した。被上告人は、宅配便につき、標準宅配便約款(昭和六〇年運輸省告示第四〇〇号)に従った約款(以下「本件約款」という。)を定めていた。そして、本件約款においては、運送人が荷物の運送を引き受ける時に、送り状を荷物一個ごとに発行し、これに荷送人はその氏名、荷物の品名及び価格等を、運送人は運賃のほか、損害賠償の額の上限である責任限度額等をそれぞれ記載するものとし(本件約款三条)、被上告人は、右の責任限度額を三〇万円と定め、送り状の用紙に「お荷物の価格を必ずご記入ください。ペリカン便では三〇万円を超える高価な品物はお引受けいたしません。万一ご出荷されましても損害賠償の責を負いかねます。」との文言を印刷し、また、ダイヤモンドなどの宝石類等は引受けを拒絶することがある旨を定め、房州通運においてもこの旨を記載した注意書を掲示していた。ところが、荷送人である鈴木は、送り状の依頼主欄及び届け先欄には所定の事項を記入したが、品名欄及び価格欄には記入しなかった。ちなみに、宅配便を取り扱う他の貨物運送業者も、一般的に、標準宅配便約款に従ってそれぞれの約款を定め、荷物の滅失等の場合における責任限度額を二〇万円から四〇万円とし、宝石類については引受けを制限していた。

3  本件荷物は、房州通運が受け付け、被上告人の千葉支店千葉ターミナル事業所にトラックで運ばれ、同所で仕分けされた後、被上告人の東京自動車支店東京中央ターミナルに専用車で配送されたが、その後所在が分からなくなった。本件荷物が紛失した原因は不明である。

4  上告人は、加工の注文をした各所有者に本件宝石を返還することができなくなったことから、各所有者に対してその価格の全額、合計三九四万一九〇〇円を賠償した。

5  鈴木は、上告人の設立当初から約一六年間にわたって、主として上告人の仕事だけを下請してきたところ、上告人と鈴木との間では、互いに宝石を送付するに当たって各貨物運送業者の宅配便を利用し、上告人から鈴木に対するものだけでも年間約八〇回に及んでいた。鈴木が被上告人の宅配便を利用して上告人に宝石を送付するのは本件が四回目であり、上告人も鈴木が本件荷物を被上告人の宅配便を利用して送付することをあらかじめ容認していた。

二  本件訴訟において、上告人は被上告人に対し、(1) 本件宝石について各所有者に全額を賠償したことにより、各所有者の被上告人に対する不法行為に基づく損害賠償請求権を取得したことを理由として計三九四万一九〇〇円、(2) 上告人が取得できなくなったダイヤモンドの加工代金相当額一五万円、(3) 弁護士費用五〇万円の合計四五九万一九〇〇円及び遅延損害金の支払を求めている。

三  よって検討するに、本件の事実関係の下においては、上告人が被上告人に対し本件運送契約上の責任限度額である三〇万円を超えて損害賠償を請求することは、信義則に反し、許されないものと解するのが相当である。その理由は、次のとおりである。

1  宅配便は、低額な運賃によって大量の小口の荷物を迅速に配送することを目的とした貨物運送であって、その利用者に対し多くの利便をもたらしているものである。宅配便を取り扱う貨物運送業者に対し、安全、確実かつ迅速に荷物を運送することが要請されることはいうまでもないが、宅配便が有する右の特質からすると、利用者がその利用について一定の制約を受けることもやむを得ないところであって、貨物運送業者が一定額以上の高価な荷物を引き受けないこととし、仮に引き受けた荷物が運送途上において滅失又は毀損したとしても、故意又は重過失がない限り、その賠償額をあらかじめ定めた責任限度額に限定することは、運賃を可能な限り低い額にとどめて宅配便を運営していく上で合理的なものであると解される。

2  右の趣旨からすれば、責任限度額の定めは、運送人の荷送人に対する債務不履行に基づく責任についてだけでなく、荷送人に対する不法行為に基づく責任についても適用されるものと解するのが当事者の合理的な意思に合致するというべきである。けだし、そのように解さないと、損害賠償の額を責任限度額の範囲内に限った趣旨が没却されることになるからであり、また、そのように解しても、運送人の故意又は重大な過失によって荷物が紛失又は毀損した場合には運送人はそれによって生じた一切の損害を賠償しなければならないのであって(本件約款二五条六項)、荷送人に不当な不利益をもたらすことにはならないからである。そして、右の宅配便が有する特質及び責任限度額を定めた趣旨並びに本件約款二五条三項において、荷物の滅失又は毀損があったときの運送人の損害賠償の額につき荷受人に生じた事情をも考慮していることに照らせば、荷受人も、少なくとも宅配便によって荷物が運送されることを容認していたなどの事情が存するときは、信義則上、責任限度額を超えて運送人に対して損害の賠償を求めることは許されないと解するのが相当である。

3  ところで、本件の事実関係によれば、本件荷物の荷受人である上告人は、品名及び価格を正確に示すときは被上告人又はその他の貨物運送業者が取り扱っている宅配便を利用することができないことを知りながら、鈴木との間で長年にわたって頻繁に宅配便を利用して宝石類を送付し合ってきたものであって、本件荷物についても、単にこれが宅配便によって運送されることを認識していたにとどまらず、鈴木が被上告人の宅配便を利用することを容認していたというのである。このように低額な運賃により宝石類を送付し合うことによって利益を享受していた上告人が、本件荷物の紛失を理由として被上告人に対し責任限度額を超える損害の賠償を請求することは、信義則に反し、許されないというべきである。

4  以上に検討したところによれば、上告人の被上告人に対する損害賠償の請求は、一個の荷物の紛失を理由とする以上、責任限度額である三〇万円の限度において認容すべきものであるとした原審の判断は、是認するに足り、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は採用することができない。

同第二点及び第四点について

原審が適法に確定した事実関係の下においては、本件荷物の紛失について被上告人に重大な過失があったものということはできないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難し、独自の見解に立って原判決を論難するか、又は原判決の結論に影響しない点をとらえてその違法をいうものであって、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官遠藤光男 裁判官小野幹雄 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄 裁判官大出峻郎)

上告代理人東谷隆夫、同額田洋一、同額田みさ子の上告理由

はじめに

原判決は、本件請求を上告人が本件ダイヤ等の所有者の所有権侵害(不法行為)を理由とする損害賠償請求権を代位行使するものであるとしたうえで、

1 上告人の不法行為責任の追及は、被上告人のペリカン便の宅配便約款の規制の趣旨に準拠してその範囲が確定されるべきである。

2 ペリカン便の運送システムからすると、被上告人においてその滅失損害が三〇万円の範囲を超えて生じることについて、これを予見しあるいは結果の発生の回避を計ることは困難であった

と判示して(右1、2を以下「判示事項1」「判示事項2」という)、上告人の請求を金三〇万円の範囲でしか認容しなかった。

しかしながら、右各判示の点については、判決に影響を及ぼすべきことが明らかな判例の違背、法律の解釈適用の誤りならびに理由不備・理由齟齬の違法があり、破棄を免れない。

また、原判決は、

3 上告人が請求した本件ダイヤの加工代金相当の損害(一五万円)については、危険負担における債務者主義から損害と認められない。

とするが、この点も明らかに判決に影響を及ぼすべき法令解釈の誤りがある。

以下、詳述する。

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな、判例の違背および法律の解釈を誤った違法ならびに理由齟齬・理由不備の違法がある。

原判決判示事項1は、不法行為に基づく責任の範囲を契約法理で画そうとするもので、民法七〇九条ならびに商法五七八条の解釈を誤り、不法行為責任と債務不履行責任の競合を認めた(いわゆる「請求権競合説」を採用した)大判大正一五年二月二三日(民集五巻一〇四頁)、最判昭和三八年一一月五日(民集一七巻一一号一五一〇頁)、最判昭和四四年一〇月一七日(裁判集九七号三五頁)等の判例に違背する。

一 請求権の競合

債務不履行責任と不法行為責任とはその要件・効果を異にしており、そのいずれの要件を主張して損害賠償責任を求めるかは本来請求権者の自由である(請求権競合説)。判例も、前記のとおり大審院以来一貫して請求権競合説を取っている。特に前記最高裁昭和四四年判決は請求権競合を認めたうえで「不法行為責任は、運送品の取扱上通常予想される事態ではなく、契約本来の目的の範囲を著しく逸脱する場合にだけ限定されるものではない」と明確に判断しており、全面的な(無限定の)請求権競合を認めているのである。更に下級審においても請求権競合説が大勢となっている(東京高裁昭和五四年九月二五日判決《判例時報九四四号一〇六頁》、神戸地裁平成二年七月二四日《判例時報一三八一号八一頁》等)。

原判決も、運送人は、運送契約に基づき契約当時者に対し荷物の保管・管理につき善管注意義務を負うとともに、その所有者である第三者に対してもその保管・管理につき社会一般の注意義務を負うことを認め、不法行為責任の要件を充たしている場合に債務不履行に基づく請求権の行使しか許さないとする合理的理由はないと原則論を述べている。そして、その主観的要件は通常の不法行為であるから運送人の故意・過失で足り、重過失まで要求するものではないとしている(前記最高裁昭和四四年判決も、債務不履行と競合している場合であっても、不法行為についてはその主観的要件は故意・過失で足りるとしている。)。ところが、原判決は突然、(『運送人に故意・重過失ある場合はともかく』と保留しているが)荷送人は契約当事者であるという一事のみで、不法行為に基づく請求はなし得ないと結論づけてしまった。これでは、契約当事者は不法行為に基づく請求を選択することはできず、請求権競合説の右原則論とはまったく矛盾することとなる。論理矛盾の最たるもので、理由齟齬・理由不備の違法があるばかりか、結論としては請求権競合説を否定するもので、前記各判例に違背するものである。

更に原判決は、第三者が不法行為責任を追及する場合であっても第三者が荷送人と同視できるときは、同様に契約法理に服するとし、不法行為による損害賠償の内容を契約法理で規制している。これは、不法行為に基づく損害賠償請求をしている上告人に対して、実質的には請求権競合を否定した場合と同様の制約を課するもので、やはり前記各判例に違背するものと言わざるを得ない。

二 運送契約と不法行為責任

商法五七八条や運送約款あるいは本件宅配便約款等が定める免責は、運送契約という観点から運送人保護のために認められたものであるから、当然債務不履行責任にのみ適用され、不法行為に基づく請求には及ばないはずである。前記最高裁判例はじめ前記東京高裁判決、神戸地裁判決もこの旨明らかにしており、原判決も、商法の規定や運送約款はもともと契約上の責任にのみ適用され、不法行為に基づく請求権の行使には及ばないとしている。債務不履行責任と不法行為責任は法律上別個の責任であり、それぞれ独立して行使することができ、不法行為責任を追及しうる場合は限定されないのであるから、不法行為責任の内容を契約法理をもって限界づけることはできないはずである。

しかし、この点についても原判決は、契約当事者と実質的に同視できる者については、不法行為責任を追及している場合であっても、商法の規定や約款の趣旨に準拠して責任を画するべきとし、一般論として述べる原則論とはまったく反対の結論を引き出しており、ここでも論理の矛盾を呈している(理由齟齬である)。特に、原判決のように結論すると、実質的には不法行為の場合にも商法五七八条の適用を認めることになるが、これは不法行為の場合に同条(旧三三八条)の適用を明確に否定した前記大審院判例に真っ向から反することになる。

のみならず、一般に不法行為責任の追及を制限しあるいはその内容を限定しようとする立場は、いずれも債務不履行責任および不法行為責任の双方の追及が可能であるか可能であった場合に、一方の不都合を回避するために他の請求権をもって責任追及を行なうことを制限しようとするものである。しかしながら、本件では上告人と被上告人とは契約関係になく、債務不履行責任を追及できる立場にない。上告人にとって不法行為責任しか自己の損害賠償を回復する手段がない。本件では、そもそも制限説のよって立つ根拠を全く欠いているのであって、原判決の判断の不当性は明らかである。

運送人と契約関係にない運送品の所有者が所有権侵害を理由として不法行為に基づき損害賠償を請求する場合に、安易に契約当事者と同視できるとして、契約上の運送人の保護規定を準用する解釈はできない。原判決は前記判例に違背し、民法七〇九条、商法五七八条の解釈適用を誤ったものである。

三 同一性の誤認に起因する法令解釈の誤り

ところで、原判決は、荷送人である訴外鈴木工芸(以下「鈴木工芸」という。)が設立当初から上告人の仕事のみを下請けしており、長年にわたって宅配便を利用してきたということのみで、鈴木工芸と上告人とを実質的に同視し得ると認定しているが、これも重大なる事実誤認である。

鈴木工芸と上告人とは、同じ「スズキ」ではあっても親戚関係等はなく、両者が以前会社勤務をしていたころに取引上知り合った間柄である。その後両者とも独立したため、上告人が鈴木工芸に宝石の加工等を依頼してきたもので、継続的ではあっても、単なる取引関係の域を出るものではない。したがって、当然両者は別個独立の営業主体であり、上告人から鈴木工芸に対し、請負注文者として一つ一つの宝石の加工についての注文・指示等はするが、それ以上に両者が請負建築工事の元請・下請けのような指揮・監督関係にあるわけではない。鈴木工芸が加工した宝石類を上告人に送る際に宅配便を使うことは、鈴木工芸の独立した判断によるものであり、決して原判決の言うように荷送人と上告人とを同視し得るような関係ではないのである。

いやしくも運送を業としている運送人の責任を追及する場合に、荷物の所有者であるが運送人と直接契約関係にないため不法行為に基づいて請求する者が、荷送人となんら無関係の第三者ということは考えにくく、本件の場合のように荷受人であることが多いと思われる。それを、荷受人と長年にわたって取引関係に合ったとか、相互に宅配便を利用してきたとかの事情で安易に同一性を認めるのであれば、実質的には不法行為に基づく請求はなし得ないこととなる。原判決はこの重大な事実誤認によって、法令の適用を誤ったのである。

また、「実質的に同一」という不明確、無限定な基準で損害賠償請求権の行使や内容を制限することは、被害救済を目的とする損害賠償制度の趣旨に反するものであり、民法七〇九条の解釈適用を誤るものである。

四 以上のとおり、そもそも、債務不履行責任と不法行為責任とは別個の責任であり、不法行為に基づく請求に対し契約上の運送人保護規定を準用ないし類推適用すべきではない。鈴木工芸とは別個独立の取引主体である上告人からの不法行為責任の追及に対し、商法上の運送人の保護規定あるいは運送約款・宅配便約款を適用ないし準用すべき謂れはない。被上告人に荷物の保管・管理につき故意・過失が認められるかぎり被上告人の不法行為責任を認めるべきである。

したがって、上告人の不法行為に基づく請求に対し契約法理を類推し、不法行為責任についても宅配便約款の規制の趣旨を準拠させるべきとした原判決は、法令の解釈を誤り、しかも重大な事実誤認に基づき法令の適用を誤ったものであり、かつ判例に違背した違法ならびに理由不備・理由齟齬の違法があり、破棄を免れない。

第二点 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の適用解釈の誤り及び理由齟齬・理由不備の違法がある。

原判決は、被上告人の故意または重過失の存否の判断を遺脱し、これにより民法七〇九条、運送人の保護規定である商法五七八条及び宅配便約款の解釈適用を誤ったもので、判決に影響を及ぼすことが明らかな理由不備ならびに法令および契約約款の解釈の誤りの違法がある。

一 故意・重過失と運送人の責任

原判決は、判示事項1を導く過程において、運送人の責任として債務不履行責任と不法行為責任とが競合する場合、「運送人に故意・重過失がある場合はともかく、荷送人については、運送人との間の法律関係を契約法理によって律するべきであって」と判示している。この点、運送人に故意・重過失がある場合には債務不履行責任についても運送人保護規定が適用されない(商法五八一条によって五七八条が排除される)のであるから、その場合には荷送人であっても債務不履行のほかに不法行為に基づく請求が許される意と解されるが、原判決は、運送人に故意・重過失があるか否かについてはまったく判断していない。被上告人(運送人)の故意・重過失が認定されれば、原判決のいうところの「荷送人と同視される」上告人の不法行為に基づく請求につき契約法理を準用されることは許されず、商法五七八条あるいは運送約款は適用されないこととなるはずである。前記東京高裁昭和五四年判決は、不法行為責任につき商法五七八条の免責を認めた原審(東京地裁昭和五〇年一一月二五日判決)を変更し、不法行為については同条の適用はなく、仮に適用ありとの見解に立つとしても、被用者に重大な過失がある場合には商法五七八条、五八一条の規定から免責されないとし、不法行為責任(使用者責任)を認めた。上告審である最高裁判所第三小法廷昭和五五年三月二五日判決(判例時報九六七号六一頁)も、右重過失の認定は是認できるとして、不法行為責任の成立を認めている。

二 故意・重過失の存在とその推認

本件事故は、原判決が認定するとおり、被上告人の代理店である訴外房州通運(以下「房州通運」という。)が、本件ダイヤモンド及び赤石(以下「本件荷物」という。)を、鈴木工芸から宅配便にて運送委託を受けた後、被上告人が通常の宅配便荷物のルートにしたがってトラック運送し東京中央ターミナルまで配送したが、その後、本件荷物は原因不明の事由により所在不明となったものである。

ところで、宅配便業者である被上告人は、大量の運送品を取り扱い、自己のターミナルを何か所も経由してトラック輸送により運送品を運送しており、運送依頼によって運送依頼人の手を離れた運送品は、荷受人の手元に届くまで運送人の排他的支配の下に置かれることになる。したがって、その経路の途中で運送品の紛失等があった場合、運送依頼人や運送品の所有者が、紛失の経路や運送人の故意または重過失を立証することは非常に困難であり、原則通り不法行為責任を追及する運送依頼人らにこれらの立証責任を課すのであれば、それは不可能を強いることとなり、結局依頼人や所有者の救済の余地はなくなってしまう。また、本件のような宅配便輸送においては、運送依頼人は主として一般消費者であり、企業である運送会社に対し弱者の立場にある。

現代のように、専門化・分化した社会においては、一般大衆である消費者には専門的知識もなく、企業等の内部で何が行われているかも知らず、事故が起こっても事実関係すら把握できないことが多々ある。事実関係がわからなければ具体的な故意・過失の主張もできない。この場合に、違法行為、故意・過失、損害の発生、因果関係のすべてにつき不法行為責任の原則通りに被害者側で主張立証しなければならないとすると、立証できないゆえに不法行為責任を追及できず、被害者が救済されないこととなってしまう。一方で企業は、莫大な利益を上げており、両者の間の不均衡は見逃せないものとなる。

そこで、判例は、当事者間の公平を図るため、行為と結果との間の因果関係につき、経験則に基づき、原告の主張する間接事実から因果関係を推認し得る場合においては因果関係を推認し、被告がその推定を覆すだけの事情について反証しない限り因果関係を認定している(たとえば、最判昭和五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一七頁)。一応の推定と呼ばれる理論であり、学説もこれを認めている。

本件も、紛失の経緯より被上告人の排他的支配下において紛失したことは間違いなく、したがって、右判例理論を敷衍して本件紛失事故は被上告人のいずれかの行為により発生し、少なくとも被上告人に重過失が存したものと推定すべきである。

この点につき、第一審は、「当該紛失がもっぱら宅配便業者の支配領域内で発生したもので、その紛失自体に荷送人又は荷受人若しくは所有者の責任が認められず、かつ第三者の責任も具体的に推測されないときは、宅配便業者の重過失が推認され、宅配便業者において、故意・重過失のないことを立証しない限り少なくとも重過失があるものとしてその責めに任ずべきである。」として、立証責任の転換を図り、被上告人の重過失を推認しており、真に妥当な結論を導いている。

他にも第一審と同様、運送人の支配下の事故についてはその原因関係については運送人に立証責任があり、原因関係がまったく判明しない場合には運送人に重過失があったものと推認すべきであると判示する判決例がある(東京地裁平成元年四月二〇日・判例時報一三三七号一二九頁=右判例は、運送人の重過失を推認して商法五八一条を適用し、同五七八条の運送人の免責規定の適用を排除して運送人の責任を認めたものである)。

原判決も、不法行為の成立に関しては、「自己の管理下にある運送品を紛失させた以上、不可抗力によるなど特段の事情の認められない限り、運送人に少なくともその保管・管理上の過失があると認めるのが相当である。」とし、さらに、「本件では、本件荷物の紛失が不可抗力によるものであったとの事情は証拠上窺えない。」と認定している。ただ、原判決の場合、推定されるのは「過失」であるが、重過失と軽過失とで質的な相違はないから、重過失については立証責任の転換が図られないとする理由はない。重過失については被害者の方で立証しなければならないとすると、結局立証できず救済を得られないこととなるのは同様である。また、重大な過失とは、少しの注意を払えば防げたのにその少しの注意を払わなかったことであるから、かえって、軽過失の場合よりも重過失なきことを主張立証する方が運送人としては負担が少ないはずである。

なお、敢えて付言すると、本件荷物が紛失したのは被上告人東京中央ターミナル到着以後である。紛失の原因について「不可抗力であることは窺えず」、他に誤配された可能性もないとすれば(被上告人は運送品をコンピュータ管理しており、誤配は判明する。原因不明とは、すなわち、誤配ではないということである)、常識的には盗難が疑われる。そして、右ターミナル内への部外者の侵入も全く不可能ではないとしても、部外者が侵入することは稀有なことで、まして、わざわざ本件荷物のみを捜し出して窃取していくことはほとんど考え難く、部外者による窃取の可能性は極めて低い。とすれば内部者の関与を考えざるを得ないのであり、運送人(被上告人)の側で故意・重過失のないことを立証しないかぎり、すくなくともその重過失を推認することは、極めて常識的な判断である。

以上から、本件において、被上告人は本件荷物の紛失について被上告人に故意・重過失がないという特段の事情を主張立証していないから、紛失につき被上告人の少なくとも重過失が推認されるというべきである。

三 重過失の存在

また、前記平成元年東京地裁判決も言うとおり、紛失の経緯がまったく判明しないということは、被上告人の運送品についての保管・管理体制の不備を示すものということができる。したがって、この点からも被上告人に重過失があったと評価することができる。

例えば、運送人の重過失について、判例は、鉄道運送の事例において、貴重品扱いの小荷物を一般乗客が自由に立入りできるプラットホームに二分間程度放置し監視が行き届かない隙に窃取された場合(東京地裁昭和五七年五月一二日・判例時報一〇四三号二二頁)、あるいは、軽自動車による貨物運送の事案につき、荷台に荷物を積み過ぎたため、自動車後部荷台の扉が完全に閉扉せず施錠できない状態で発車した結果、運送途中で扉が開き絵画が落下し紛失した場合(東京地裁平成二年三月二八日・判例時報一三五三号一一九頁)に重過失ありと認定している。これら紛失の具体的経緯については当然運送人側から主張立証されており、その事実に基づき重過失の有無が判断されている。しかるに、まったく紛失経緯が不明として具体的事実を運送人側で主張しなければ重過失が認定されないとなれば、両者に不均衡が生ずる。やはり、紛失理由がまったく不明という方が運送人の保管・管理責任としては大きいといわざるを得ない。

四 判断の遺脱

原判決は、標準宅配便約款による「引受拒絶品目」につき、代理店である房州通運に対して引受を受諾しないように指導監督すべき義務については、被上告人には重大な過失はなかったと判示しているが、荷物の保管・管理についての行為・重過失については全く判断していない。重大な判断の遺脱である。

五 以上から、本件では被上告人の重過失が存在し、少なくとも重過失が推認され、上告人の被上告人に対する不法行為に基づく請求に関しては契約法理は準用されないというべきである。しかるに原判決は、被上告人の重過失の有無を判断しておらず、判断の遺脱による理由不備があり、これによって不法行為責任の範囲の判断を誤ったもので、破棄を免れない。

第三点 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな判例違背及び法律の解釈適用を誤った違法があり、さらに理由齟齬の違法がある。

原判決は、損害の点につき、三〇万円を超える額については予見しあるいは結果の回避を図ることは不可能であったとして、損害は三〇万円の範囲に止まると判示しているが(判示事項2)、これは、不法行為責任において予見可能性および結果回避可能性の設定を誤り、賠償されるべき損害の範囲についての解釈を誤ったもので、賠償範囲に関する各判例に違背する。

一 予見可能性および結果回避可能性の設定、判断の誤り

1 (予見可能性について)

(一) 原判決が損害額を三〇万円に限るとするその根拠は、被上告人が標準宅配便約款にもとづいて、運送取扱事項として責任限度額を三〇万円と定めたと認め(そもそもこの約款解釈は誤りである。後述する)、また、引受制限品の価格の上限を三〇万円としているところから、被上告人にとって本件荷物の滅失毀損の損害が三〇万円の範囲を超えて生じることについてこれを予見しあるいは結果発生の回避を図ることは困難であったというようである。

しかし、不法行為責任は不法行為のなかった状態に回復させることを目的とし、しかも、その損害を金銭に評価して損害の回復を図る制度(金銭賠償の原則)であるから、物の滅失の場合、財産的損害はその物の交換価格である。判例もこの点につき、大審院から一貫して以下のとおり判示している。すなわち、大審院判例は、不法行為によって物を滅失毀損された者は当時の交換価格の賠償を請求しうると判示し(大連判大正一五年五月二二日民集五巻三八六号=富貴丸事件)、最高裁判所もそれを踏襲して、不法行為による物の滅失に対する損害賠償の金額は、特段の事由のないかぎり、滅失毀損当時の交換価格により定むべしとしている(最判昭和三二年一月三一日民集一一巻一号一七〇頁)。学説にも異論はなく、交換価格の賠償自体については予見可能性の有無は全く問題とならないのである。

そもそも、損害の範囲についての予見可能性は、事実的因果関係あるすべての損害につき加害者に賠償責任を負わせるのは公平の見地から妥当性を欠くため、無限に広がる因果関係を制限して、相当因果関係の範囲で賠償責任を負わせるための理論である。そして、債務不履行の規定ではあるが、民法四一六条が相当因果関係により損害の範囲を制限する規定であるので、判例はこれを不法行為についても類推適用し、同条に基づき、損害を加害行為によって通常生じるであろうと認められる通常損害(同条一項)と特別事情に基づく特別損害(同条二項)とに分け、特別損害については、特別の事情につき予見していたかもしくは予見しうべきであったときのみ賠償すべきとしたのである。たとえば、右富貴丸事件判決は、不法行為によって物を滅失毀損された者は当時の交換価格の賠償を請求しうるが、さらに滅失毀損した物が後に価格高騰し被害者がこれにより得べかりし利得を失った賠償を求めるには、被害者において不法行為がなければ騰貴した価格で転売その他の方法によって利益を確実に取得したであろうという特別の事情があってその事情が不法行為当時予見しまたは予見し得べきであったことを必要であるとしている。また、前記昭和三二年最高裁判決も、被害者が戦前の不法行為時の価格ではなく、戦後のインフレ後の価格によって賠償を求めた事案において、前記のとおり、損害賠償の金額は特別の事由なき限り滅失毀損当時の交換価格によると判示したが、戦後のインフレという事情が特別事情と解されたものと思われる。

ところで、右のような判例理論に対して、加害行為があるまで何ら無関係であった者の間で特別事情についての予見可能性を持ち出すことは無意味であり、すでに債権債務関係がみる債務不履行の規定を不法行為に類推するのは無理であるとの説が最近有力になっている。確かに、全く不知の間柄である不法行為の加害者に被害者らの特別事情について予見可能性を求めることは無理であり、これは公平の理念に基づき賠償すべき損害の範囲を相当範囲にするための一種の擬制ともいえる。この立場からは、賠償するべき損害か否かの判断に予見可能性の有無は問題とならない。

しかし、いずれにせよ予見可能性によって制限される損害とは、直接的な侵害結果よりさらに引き起こされる拡大損害あるいは後続損害、または将来の得べかりし利益等の消極的損害であり、本件のように物の滅失それ自体という通常損害については、予見可能性はまったく問題とならないのである。これは、不法行為時に、加害者がその物自体が何であるか認識していなくとも、またその価格を知らないときでも変わるところはない。

(二) 仮に百歩を譲り、本件において通常の損害について何らかの予見可能性が考え得るとすれば、運送品の価格そのものの賠償を求める本件では、運送品の内容自体の予見可能性にほかならない。この点、一審が明晰な判断を示したとおり、本件荷物の形状、荷送人(「鈴木工芸」)、荷受人(「スズキ宝飾」)の名称等を総合すれば宝石貴金属等の高価品である可能性があることは容易に判断できるところであり、予見可能性がないなどということは到底考えられない。

また、予見可能性とは債務不履行の場合でも通常人を基準とした可能性であるが、不法行為の場合には、あらかじめ社会的関係を有しない人間間のことであるから、さらにその内容は客観化された予見可能性となる。したがって、約款や取扱事項を顧客である一般大衆が熟知することは期待できず、引受拒絶の制度についても理解されているとは言えない状態で、三〇万円以上の荷物を宅配便にて運送依頼することが予見可能性なしとは言えない。むしろ、後述するように標準宅配便約款は、荷送人に品名を記載することを求め記載のないときは運送の引受けを拒絶できるとし、更に記載の有無に関わらず運送人は荷物を開披してその内容品の確認を求めることができるとしている。これは、高価品を含む引受制限品目を定めても、それらが出荷されることがあり得ることを前提とした規定である。更に引受制限品目といっても運送の引受ができないのではなく、引き受けるか否かの判断は運送人に委ねられているのである。すなわち、これら約款の規定自体からも高価品が出荷されることは予想されているところであり、予見可能性がないなどと考えてはいないのである。

(三) 以上のとおり、本件のように財物の滅失自体による損害については、予見可能性の有無を問題とするまでもなく、その物の交換価格が損害となるのであるが、原判決は、予見可能性の判断自体についても解釈の違法があり、破棄を免れない。

なお、高価品であるか否かの確認義務は運送人にあり、これを怠り一旦運送を引き受けた以上高価品の明示がないことをもって免責の主張ができないことは、一審、原審ともに認めるとおりである。

2 (結果回避可能性)

運送人は、自己が引受け、管理下に入った運送品についてはその物が何であるかにかかわらず、保管・管理すべき注意義務があるのであり、その運送品を紛失しないように保管・管理する義務自体は品物によって変わるところはない。運送品の滅失による損害の発生という結果の回避可能性は、すなわち運送品の滅失という結果の回避可能性にほかならない。したがって、紛失が不可抗力によるのでないかぎり、結果回避可能性は当然に肯定されるものである。

なお、運送品が高価品か否かによって現実には運送人の注意の程度が変わるかもしれないが、前述のとおり、高価品か否かの確認義務は運送人にあり、これを怠って無条件で運送を引き受けた以上、免責の主張ができないことは前同様である。

3 原判決は民法七〇九条、四一六条の解釈を誤り、また、判例違背の違法を犯したものであり、破棄を免れない。

二 約款の解釈の誤り

原判決は、実質的には、約款の趣旨を不法行為に基づく損害賠償請求にもあてはめようとするものである。その不当なことは先にも詳述した。しかしながら、そもそも原判決は約款の趣旨の解釈自体を誤るものであり、引いて、これに基づいて不法行為責任の範囲の判断を誤った違法がある。

1 (約款の構成)

被上告人は、道路運送法第三条第二項第四号所定の一般路線貨物自動車運送事業に属する小口貨物運送サービスである宅配便事業者であるが、昭和六〇年九月一九日に公示された標準宅配便約款(以下「約款」という。)に従い、運送取扱事項を定め、宅配便事業を行っていた。約款によれば、荷物の品名について荷送人が記載することとなっており(約款三条三号)、右記載がない場合には、宅配便事業者はその荷物の引受を拒絶することができ(同六条二号)、さらに、各事業者が個別に引受拒絶品を定めることができるとしている(同六条六号イ)。被上告人は、約款に従い、ダイヤモンド等の宝石類及び荷物一個の内用品の価格が三万円を超える物等を引受制限品と定めた。また、引受制限品については、宅配便業者がその旨知らずに引受けた場合には、その滅失、毀損、遅延について損害賠償の責めを負わない旨の定めがある(同二三条二号)。

そこで、被上告人は、約款二三条二号に基づき、引受制限品である本件荷物については被上告人は紛失の責めを負わないと主張しているのであるが、以下の理由により免責は許されないというべきである。

本来、運送業者は、その公益的性格から、恣意的に荷物の引受を拒絶することはできない。しかし、宅配便が大量の品物を迅速に運送するシステムであることから、約款が引受拒絶品を各店で定めることができることとしたのである(第六条六号)。その引受拒絶品にあたるか否かを判断するために、約款三条三号が荷送人に対し、荷物の品名記載を求めているのであり、この規定は、宅配便業者が品物の性質を確認するための担保的規定と解されている(『逐条解説標準宅配便約款の解説』運輸図書刊=乙第一号証)。そして、品目の記載がないときには、記載がないということで引受拒絶することができるのである。

また、被上告人は、取扱事項として、宝石類、価格が三〇万円を越える品物を「引受できない品物(引受拒絶品)」と定めているが、約款は引受けを「拒絶できます」とするだけである。宅配便の各業者が約款にもとづいて定める事項は、約款の内容を補充するに過ぎず、約款を制限したり拡張したりするものではない。約款の内容が右のとおりである以上、右引受拒絶品は絶対に拒絶しなくてはならないものではなく、拒絶しないでこれらの品物についても引受人の判断で引き受けることも可能である。

したがって、宅配便業者が荷物の品名の記載がない場合に、記載なきことを理由に拒絶することを選ばず、荷物を引き受けた以上、仮に、当該宅配便業者が「引受拒絶品」として定めた品物でもあっても、有効に運送契約は成立しているといわなければならない。現に、宅配便業者は品名記載がない場合「引受制限品」の懸念がある場合にもそのまま運送を引き受けているのが実情である(例えば、宅配業者の有力な運送品であるゴルフクラブ等はその価格が三〇万円を越えることはあり得る)。

また、宅配便業者は、荷物に品名が記載されている場合でもその品名に疑問があるときは、荷送人の同意を得て荷物の検査をすることができ(約款四条)、荷送人がこの検査を拒んだときにも引受を拒絶することができる(同六条二号)。この規定も、引受拒絶品を引き受けないよう運送人を保護する規定であるが、かように、宅配便業者に荷物の内容につき確認する手だてを与えているということは、反対に荷物を引き受ける際には宅配便業者の方でその内容を確認すべき義務があるということにほかならない。右逐条解説九三頁も、宅配便が一般大衆を相手とする運送契約であることから宅配便業者の方で内容を確認すべきであると解説している。

これらのことを勘案すると、荷送人に品名の申告義務はなく、品名の記載がないときには宅配便業者の方で記載を促すべきである。この点は、一審、原審とともに認めるところである。

したがって、約款二三条は、宅配便業者が引受制限品をその旨を知らずに引き受けた場合には、その滅失毀損について損害賠償の責めを負わないと規定するが、単に品名不記載の場合に右規定を適用すべきではなく、同二三条は例えば積極的に虚偽の事実を記載した場合等に限って適用されるべきである。

一般に、約款契約はあらかじめ一方的に定まった契約約款により大量に反復継続的になされ、しかも相手方が一般大衆である場合、その内容につき熟知していないことが往々にしてあることから、約款の各条項は合理的に解釈すべきであり、不当な条項は、信義則により例示規定として当事者を拘束しないとするのが判例である。したがって、約款二三条についても右のように制限的に解釈するのが合理的解釈であり、品名不記載のまま何ら記載を促しもせずに引受けた被上告人が約款二三条により免責を主張することはできないと解すべきである。

原判決が、一般大衆を顧客とする運送システムとしての宅配便にあっては、むしろ運送人の側で高価品の明示を促すべきで、高価品の明示のないままその明示を促すこともなく引受け、運送の過程でこれを滅失毀損させた場合に知らずにこれを引き受けたことを理由に免責を主張することは信義則上許されないとしているのもこれと同旨であると思われる。

2 (「責任限度額」の規定の不存在)

損害賠償の範囲について約款は「送り状に記載された責任限度額(以下『限度額』という。)の範囲内で賠償します。」(二五条は一項)としている。しかして、被上告人の送り状(甲第一号証)には、「限度額」ないし「責任限度額」(約款三条一二号参照)との記載は一切ない。なるほど送り状の片隅に「ペリカン便では30万円を超える高価な品物はお引き受け致しません。万一出荷されましても損害賠償の責めを負いかねます。」との記載はあるが、これは引受制限品目として荷物の内容品の価格の限度を示しているだけで、到底責任限度額すなわち損害賠償額の上限という意味に理解することはできない。特に宅配便は一般消費者を対象とするものであり、約款が運送人側で一方的に設定されたものであることを考えると、約款の解釈は厳重になされるべきで、特に運送人側に有利に拡張解釈をしたり、補充解釈をすることは許されない。解釈の判断基準も、一般消費者を相手とするものである以上、平均的消費者水準より低いレベルを基準として解釈されるべきである(一般消費者が対象の場合の判断水準としてこの点を指摘するものに、実方謙二『独占禁止法[新版]』三六四頁(表景法に関するもの)等がある)。

右のとおり、被上告人の送り状には「限度額」の記載がないから、限度額の規定は存在せず、約款二五条一項により責任限度額の主張することはできないというべきである。

3 (「責任限度額」規定の適用範囲)

また、約款二五条一項は、運送人が運送の引受けにあたり、品名の記載を促さず、運送品の内容を確認をしないまま運送を引き受けた場合には適用がないというべきである。

右約款は運送人の責任限度額を定めたものであるが、約款が運送人側で一方的に設定されたものである以上、その約款が効力を有するためには約款の内容ならびにその適用に合理性がなければならない。しこうして、前記1で詳述したとおり、運送人が高価品であることを知りながら運送を引き受け滅失させた場合まで免責を主張することは許されない。更にその場合には、運送品の価格を全部賠償すべきである。けだし、運送人が高価品であることを知って引き受けた場合には、運送人の保護を考える必要がなく、責任軽減規定の合理的基礎を欠く。同様に、運送人が高価品であることを知りうべき場合にも、同約款は適用されないというべきである。運送人は自らの利益を守る手段を持ちながら、これを放棄しているのであり、やはり保護の必要性を欠く。知り得るべきであるにも関わらずこれを怠ったのに自己の設定した約款を盾に取り、限度額以上の免責を主張することはやはり不合理であり、信義に反するからである。運送人には、荷送人に運送品の内容の記載を求め、その記載に疑いがあるときはその内容品の開示を求めることができるとされているのであり、容易に運送品の内容について知り得べき立場にある。したがって、運送人が内容品ならびにその金額の記載を促さず、内容品を確認しなかった場合(この場合は、敢えて運送人が内容品の価格の確認を放棄して運送を引き受けているのであり、高価品であることを未必的に容認しているといえる。確定的に知っていた場合と径庭はない)には、約款二五条一項を適用することは許されない。

なお、約款二五条六号は「前五項の規定にかかわらず、当店の故意または重大な過失によって荷物の滅失、き損または遅延が生じたときは、当店は、それにより生じた一切の損害を賠償します。」と規定し、運送人に故意・重過失がある場合にまで同条一項を適用することの不合理さを自認している。ここで、故意・重過失ある場合には全損害を賠償するとしている趣旨は、約款二三条二項が運送人が過失によって高価品であることを知らなかった場合には適用がないと解される以上、高価品であることを知らなかったことに過失がなくとも、故意・重過失によって運送品を滅失等した場合には運送人はなお全損害を賠償する意味に解される。また、そのように解してこそ、約款二三条二項の解釈と整合性を保ちうる。運送人が運送品の価格の記載を促さず、その確認を怠った場合は、重過失に限らず、過失によって滅失させたときは全損害を賠償すべきである。

4 (重過失の判断の遺脱)

更に、百歩譲って原判決の立場を前提としても、約款二五条六項が運送人に故意・重過失がある場合は全損害を賠償するとしている以上、原判決は被上告人の故意・重過失の有無を判断すべきであった。しかるに原判決はこの判断をしていない。これは、重大な事項の判断の遺脱であり、理由不備の違法がある。なお、前述のとおり被上告人の反証がないかぎり上告人の故意・重過失が推認されるというべきである。

5 以上のとおり、本件においては、そもそも約款二五条一項の適用はないというべきであり、約款の趣旨を不法行為の場合にも適用しようとする原判決は、その前提において誤りを侵すものである。

第四点 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな判例解釈の誤りがある。

原判決は、本件ダイヤの加工代金一五万円については、上告人は加工依頼者である訴外真山に対する請求権を失っていないから、上告人に損害はなく、右加工代金は損害賠償金額にもともと含まれないと判示している。しかしこれは、危険負担についての民法五四三条、五四六条の解釈適用を誤るものである。

訴外真山が、本件ダイヤのリング加工を上告人に依頼した契約は請負契約と解せられる(民法六三二条)が、この請負契約は、被上告人の少なくとも過失により本件ダイヤが紛失したことにより、仕事の完成・引渡が履行不能となったのであるから、原判決が言うとおり危険負担の問題となる。

民法は、特定物に関する物件の設定または移転を目的とする双務契約(たとえば特定物の売買)については例外的に債権者主義をとるが(民法五三四条)、それ以外は、債務者主義を原則としている(同五三六条)。請負契約は、請け負った仕事の完成に対して報酬を支払うことを約する契約であるから(同六三二条)、請負の主たる目的は仕事の完成であり、請負代金は労務の対価を含んでいる。したがって、請負契約には民法五三四条は適用されず、同五三六条により債務者主義が妥当する(通説)。債務者主義によれば、反対給付である請負代金については、履行不能となった債務の債務者が危険を負担することになるから、本件では上告人の負担となり、上告人は訴外真山に対して請負代金を請求することはできない。

この点につき、材料を請負人が供給した場合には請負契約により完成した物は原始的には請負人の所有物となり、その後引き渡しによって注文者に所有権が移転するから、特定物の権利移転として民法五三四条の適用を認めるという少数説がある。しかし、本件は、注文者の所有する宝石に加工を施すことが請負の内容であるから、仕事を完成させても本件ダイヤモンド指輪の所有権は注文者にあり(民法二四三条の附合の理論による。)、特定物についての物権移転と解する余地はない。

原判決は、危険負担についての債務者主義により上告人の加工代金は消滅していないと判示しているが、民法五三六条の債務者主義を適用するのであれば、前記のとおり加工代金は消滅することになる。原判決はこの点の解釈に誤解があり、同条の解釈適用を誤った違法がある。仮に、本件につき債権者主義をとるという判断であれば、民法五三四条、五三六条、六三二条の解釈適用を誤った違法がある。

いずれにしても、原判決はこの点につき破棄を免れない。

結語

原判決は非常に理解しがたい判文になっているが、これは総論においては前記判例に添うことを表明しながら、実質的にはこれと相反する結論を強引に導いているためと思われる。判例違背をはじめとして原判決の誤りは明らかである。

速やかに、原判決を破棄されることを求める次第である。

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